雨月

あらすじ
 時は戦国時代の天正、平穏な村人の集いに舞台は始まる。
 野武士の頭領・曙光が「麦が実ったら襲う」と言い残して去る。
 口々にどうしたらいい?と騒ぐ村人、村長は「50数年前、野武士の来襲で村人が死んだ」と語る。
 怯える村人、気の強い茂吉が「皆で野武士をやっつけるんだ」と、村長がとどめて「侍を雇うんだ」と。

 一方、妻やすに先だたれた藤衛門、髻を絶って武士を捨て念仏の旅へ。
 安宿に妻たよと過ごす伊兵衛、女にモテモテで追い出され旅へ、元豪族の子孫・勝四郎は愛人真由に待っていてくれと立身のため都へ旅立つ。平之丞は愛してはならない黒石と別れて旅へ。
 藤衛門は行脚の僧・箔蘭に会い、得度したいと願う。
 その時、村人が駆け込んできて盗賊に襲われた子供を助けてくれと。
 箔蘭は藤衛門の首に数珠をかけ太刀を渡す。
 僧衣をまとい変装の藤衛門は盗賊を斬り、子供を救う。
 これをみた村人が「野武士を村から救ってほしい」と頼む。承知した藤衛門、だが、一人ではできない。
 仲間集めに取りかかる。



 先ず初めは木刀の賭け試合で勝った伊兵衛に目をつけ、次いで槍の名人平之丞や勝四郎が、更に粗忽で乱暴な百姓出の菊千代、若侍の甲斐、剣士の久蔵が仲間に加わり7人の侍の勢揃い。
 村人に竹槍を持たせて、野武士の襲来を待つ。
 激しい豪雨の中、襲来の野武士を迎えて、7人の侍と竹槍を手にした村人と野武士の乱闘、先ず若侍の甲斐が倒れ、泣いて悲しむ村娘、久蔵や陽気な伊兵衛も倒れ、一休みの菊千代も隙を突かれて倒れる。
 藤衛門と野武士の頭領・曙光の対決、隠身術に長けて姿をくらます曙光に悩む藤衛門、平之丞が渡した弓を引き絞り放すと命中して倒れる曙光の苦悩に、彼も戦国の世の敗者だった。

 平和の帰った村人が生き残った藤衛門、勝四郎、平之丞を囲んで踊る。
 だが、後を追ってきて賊刃に倒れた黒石の亡骸を抱きしめて泣く平之丞。
 そして、故郷へ戻った勝四郎を迎える真由でフィナーレ。

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鏡にうつす花の男たち


 私たちの鏡の向こうの物語は、現実と異なるどこか架空の国の日常の姿です。
 そこに出てくる3人の花の独身男たちは突拍子もない出来事に巻き込まれたり、哲学的な思案にふけったり、でも現実の私たちには変わらない姿が見えるだけです。
 この宇宙の中に、自分がいるということを実感して楽しんでいただいても結構ですし、深くいろいろなことを読み取っていただくこともできます。
 観る方によっていろいろに楽しんでいただけたら、と考えています。
 ここではよくある客席と舞台をなくして空間を斜めに使いました。
 また、客席後方から舞台に通じる花道を創りそして観客のみなさんと一緒に遊んでいるような雰囲気を創り出しました。

牡丹と馬 遠野ものがたり

 恐ろしいもの、薄気味悪いもの、よくわからないもの。
 私たちの生活に寄り添ってきた異形の神たち。
 遠野物語には、彼らに対する畏敬があふれています。
 暗闇から逃れようとすればするほど、私たちの身体はいくつもの鎖に縛られ、沈黙に追い込まれていきます。
 風の市プロデュースは、ありのままの身体の動きを異形の神たちの舞に託し、我々の身体と感覚の沈黙に闇とざわめきを取り戻します。
 舞台を見終わった後、あたりまえに、笑い、なき、驚き、怒り、愛し、生きている、この身体が、今までとは少し違ったものに思えるでしょう。

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白痴の空歌


 「孤独は私のふるさとだ」
 坂口安吾が長いびく戦争の最中生み出した孤独のふるさととは・・・
 「恐れるな そして、僕から離れるな!」
 美しい白痴の瞳・・・・楢
 映画監督見習い・・・ 伊沢

 きみは水のような心を持っている きみの姿を見ると悟りが開かれる 人間最後の住家は「ふるさと」楢よ
 きみはいわばそのふるさとの住人のようなもの 静かな楢よ 楢の心はいつも楢ひとりのもの
 どうしてそんなにひとりっきりで生きていけるのか・・・
 I dream my fear will disappear
 ・・・夢をみる

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蝶々かや舞い


 25年前、デフ・パペットシアター・ひとみの役者として初舞台に立ったとき、その演目は「オルフェ」。そして私の役は蝶々だった。
 蝶の行動を見るうちに、不思議なことを考えた。例えば「飛んでいる蝶の目線は、地上にいる我々とはちがうだろう」とか、「雨の日にはどうしているのだろう」とか。
 いろいろ考えながら演じるうちに、蝶から「生命を感じながら演じているか」「形だけではないのか」と問いただされているような気になったのを覚えている。
 蝶々が私を舞台の世界にひきこんだのである。
 私にとって蝶々は、演劇における初めての友達であり、恩人であり、そして財産である。
 「オフィス風の器」の設立を機に、25年ぶりに原点にたち返る思いで、蝶々に挑むのである。

 花は無心にして蝶を招く
  蝶は無心にして花を尋ねる・・・
      ~良寛詩集より~

アリアン花ひらく

あらすじ
 太平洋戦争末期の昭和20年初夏。
 聾の愛する京坂聾唖学校教師の特攻隊員が聾少女の実家食堂に駆けつけ、今生の別れにライスカレーを食べに行った。
 「私は京坂聾唖学校教師、日本名、寺田剛士、もう一人が朝鮮人の慮剛士です。隠して本当に申し訳ありません。僕たちは、明日沖縄へ向かって飛びます。死ぬ前に一度だけ思いっきり手話歌を歌わせてください…。」
 そして沖縄の空に出撃していった。

 ・・・・・・戦争犠牲者の鎮魂と平和をこめて

 この作品はもともとは、2004年3月7日の大阪府聾唖協会からの依頼がきっかけで作られたものである。
 大阪には手話劇の原点があると思う。
 戦前の大阪市立ろう学校の松永端教諭は、聾者劇団「車座」の演出家でもあった。
 彼は聾者のドラマツルギーを提唱し、手話や身振りの奥にある深い思いや神秘の存在を確信していたのである。
 表現とは何かを問いかけたく取り上げた作品である。

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