フィリピンで初心にかえる
2009年11月18日、フィリピンマニラの広く青い空の下に降り立った。
出迎えてくれたのは、通訳とガイドの役を務めてくれたローウェナ・マリア・リビエラさん(以下略称ウェンさん・フィリピンろうあ連盟女性部理事)とジェシーさん、マッフィーさん。
滞在の1週間半、ほとんどつきっきりで、ホテルへの送迎やフィリピン手話のアドバイス、休日の観光まで、私たちの面倒を本当に最後まで見ていただいた。
ウェンさんは以前、ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修生として日本で学んだ方。
「研修以来あまり使っていないので少し忘れた」というウェンさんの日本手話がとても堪能なのに驚いた。
日本語もたくさん使ってくれた。
私は今回、「第15回フィリピンろうあの祭典」に特別出演(2ステージ)した。
また、ろう学校4校に訪問しワークショップを行った。
フィリピンろうあの祭典でのパフォーマンス
私たちがフィリピンを訪ねた18日は、すでに祭典は始まっていた。
日本から来た私への期待は大きかったようで、私の出番のステージチケットはほとんど売り切れの状態。
立ち見を含めた500人の人々が会場を埋め尽くした。
フィリピンは気温30度を越す毎日だったが、会場内は冷房が強く入りすごく寒い。
しかしこの時の私は、期待に応えるべく生き生きと熱く心をこめて演じないといけない、果たしてうまく伝わるだろうか、などと大袈裟に考えこんでしまい、すっかり冷房の寒さのことを忘れていた。
芝居は、イッセイ尾形のようなスタイル。
台詞は基本的に使わず、ノンバーバルな表現中心に行う。
最小限必要な言葉のみをフィリピン手話にしての上演。
舞台から客席のみなさんへの投げかけもたくさん行った。
一緒に手や体を動かしてもらったり、舞台に上がって一緒にパフォーマンスしてもらったりして、会場全体が表現の場となるように展開していった。
不安、緊張しながら迎えた本番だったが、始まってみると、それには及ばず、楽しい場にすることができ、お客さんも喜んで盛り上がってくれたのでほっとした。
私が写真屋になりきり古いカメラを持って登場、客席の全員を被写体にして撮る演技に、観客のみなさんは楽しみながら色々なポーズをしてくれた。
さんざんポーズをさせた後に、「カメラが小さすぎてあなたの体は撮れない、残念。」と、撮るのをあきらめたパフォーマンスに、みなさん爆笑。
体全体が撮れるようにと、古い小さなカメラから、大きいカメラに変えて持っていくとさらに大爆笑。
演劇を通して「共感しあう」という原点を感じた。
言葉を介さない芝居は、やはり世界共通なものであり、改めて言葉を超えたみなさんの発想の豊かさを感じることができた。
パフォーマンス終了後、会場の全員が手のひらをひらひらとさせての嵐のような大きな拍手を見たときは感無量だった。
「何と愉快で楽しいパフォーマンス!観客全員と早く結びつく能力は本当にすばらしい。手の魔法を見ているようだ。私が今教えている手話通訳者を目指す学生があなたのファンになった。あなたの表現から、誇りも感じられたし、国や人種を超えて平等を求めている気持ちも分かった。ありがとう。」と言ってくれたのは、フィリピンろうあ連盟事務局長。
お世辞はかなりあるとしても嬉しかった。
「あなたの芝居は、今まで関わってきたあらゆる劇の中で最高だった。」と祭典実行委員会代表ラフィールさんからの言葉も嬉しかった。
この祭典は、全体的に創造面が豊かで、連帯感が強く、フィリピノダンス、手話での国歌、相互理解の大切さを訴える映画、民族の誇りをも表現する舞踊等、多様な表現と豊かな内容のものだった。
未来に生きるフィリピンの若者たちが元気に生きることを願った若者のための祭典。
聾者の絆や聾文化を若者が自覚し、それらを受け継いでいって欲しいという、青年部たちの熱い思いが込められている。
今回、デ・ラサール大学の中で行うのは初の試みで、これからは毎年1回行われる予定だそうだ。
祭典の最終日の最後の挨拶で、祭典実行委員会代表ラフィールさんは、「今年9月26日に直撃した熱帯低気圧の豪雨により、マニラ首都圏では大規模な洪水が発生。私たちは脱出するだけで精一杯、お陰さまで無事に避難できたが資料や備品は失われた。今後のことは、皆で力を合わせて再建・再出発の策を講ずるつもりだ。今回の祭典が中止に追い込まれなくてよかった。復興支援活動と募金は継続して行われている。なんらかの形で資金を集めてろうあ運動を目指したい。ご協力をお願い申し上げます。」と力強く述べられた。
ラフィールさんもかつてダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の研修生でした。
苦難を乗り越え、真正面から腰を据えて取り組む姿勢に感嘆した。
ろう学校でのパフォーマンス
公立のフィリピン聾学校、CBS聾専門学校、ミリアム大学付属東南アジア聾学校、MCCID聾専門学校の合わせて4箇所訪問させていただいた。
祭典と同様のパフォーマンスを行ったところ、いずれもそれぞれの学生や生徒の反応は良く、ここでも会場全体に一つの連帯感が生まれた。
しばらくやまない拍手、私の周りに輪ができ、それが列になるところも。
「日本からやってきたあなたを一生忘れない」と言ってくれたフィリピンの若者たちは、生まれて初めて日本人の芝居を観たのだということに改めて気付いた。日本への興味と理解を深めたワークショップ交流ができたと思う。
パフォーマンスを終えて
11日間という短いツアーだったが充実した日々を過ごすことができ大変嬉しく思う。
特に活動する中で忘れがちな初心を、今回の公演で思い出し、気持ちを新たにさせられた。
28年前、プロの演劇人として仕事を始めた頃、「出会いの場を作っていくんだ」という気持ちを常に持っていたことを思い出された。
長く続けるうちに自分の仕事への取り組みが昔にくらべてルーチン化していた今日この頃。
フィリピンでの活動は、改めて、自分の演劇活動が、言葉や国を超え、人の心を豊かにつなげ、深い共感を生む「出会い」のきっかけとなっていることを感じた。
これを今の自分の取り組んでいる仕事全てに感じられるようにしなければ、と思いを新たにした。
私の仕事は「橋渡し」。
あるときは芸術文化の仲間との出会い、演劇の以外の人との出会い。俳優として芝居を観ていただく形で、また、インストラクターとしてワークショップに参加していただく形で、これまで実に多くの方々と出会ってきた。
28年間全国各地750箇所公演、海外公演13カ国。
自慢話で恐縮だが、多分履歴書に書いたら大変な記録だと思う。
これからも、「言葉を超えたステージ、ノン・バーバルコミュニケーションについて体験したいという要望あれば、どこへでも飛んで行く」という気持ちで続けていきたいと思う。
小中高等学校や専門学校、大学、福祉施設、人権教育関係、教育研究、アートティスト、文化振興等々に、いろいろな人と触れ合う大切さ、つまり「出会い」を体感してもらうため日々活動し、私も、みなさんの出会いを「橋渡し」する役割として、たくさんの方々と触れ合っていきたい。
それは履歴書の活動回数の記録というよりも、私の大切な出会いのひとつひとつの経験の積み重ねとなっていくだろう。
さいごに
本当に有意義な旅となったのは、通訳山下絵理さん(東京外国語大)のご奮闘、マネージャー東駒子さん(東屋寺子屋)のお陰。
また、私にたくさんのエネルギーを与えてくれたフィリピンのたくさんの人たち、ありがとう。
これからも創造活動家の一員として、各地で色々なところで自分なりに、何も無いところから何かを生み出し、新しい出会いの橋渡しをしていきたい。
フィリピンろうあ連盟女性部のウェンさんの言葉がよみがえってくる。
「良い文化は良い出会いを作りますね。サラーマット(ありがとう)」