『UKIYOE』を公演したきっかけについて
浮世絵を題材に選んだのは、イギリスのロンドン市内にある日本大使館で展示されていた日本人版画家塩見奈々さんの作品を見て心を打たれたことがきっかけでした。
浮世絵を現代に融合させたかのような版画を見たとき、イギリスでこれからの演劇人生をどう生きるか迷っていた私は、日本人とは何だろうと思わず自問自答しながら、もっと日本を魅せる日本人になりたいと思いました。
いまをどう生きるか、はっきりとその方向がわかりました。
その古さを大切にした新しい版画を見るうちに、奥にひそむ古きものの魅力を現代に伝えることの奥深さに気付いたのです。
一昨年イギリスに行った時、私はいみじくも文楽風人形をイギリス演出家に見せていたのです。
やはり日本の伝統文化の魅力に現代はうち勝てません。人形関して言えば、なんといっても文楽が素晴らしいと思います。
26年前乙女文楽の修業をした時、腰をきりりとしまっておく訓練を重ねたことがいまも私の活動に生きています。
こんな高度な文化を、私が少しずつでも受け継げるようになれればこんな幸せはありません。
『シナリオを書くにあたって』のエピソード
台本を書き始めた頃、北斎の資料を30冊程集めたり、大田美術館視察をしたりして、魅力一杯の浮世絵について何度も読み返しました。
葛飾北斎は同じ男として、真似の出来ない生き方ですが、ほんの少しだけでも取り入れてみたい、そう思い、一部(1%位)を演じてみました。
もちろん才能や素質、顔立ちからして全く違います。
でも演じるうちに、北斎は、芸術に対し破壊的であるように見える側面もありますが、純粋に“森羅万象”を愛していたような感じが、浮世絵から読み取れるような気がしました。
いつか北斎が愛した冨嶽の旅に出かけてみたいと思います。
出演メンバーはどのようにして集めました?
今回は前回のメンバーの構成とは違って様々なジャンルを集めたいと思いました。
プロスタッフ・プロダンサー・プロ俳優・プロパントマイマー(日本ろう劇団の妹尾映美子さん・廣川麻子さん)などに、舞台に登場してもらう構築を考えました。
そして「最先端でチャレンジするアーティストの人たち」「やったことのないような領域」「自由なオムニバス」などのコラボレーションで、いろいろ表現出来るのではないかと考えました。
それらは、私が一番演出したかったことです。
28年前、聞こえる演出家が「第1 回全国ろうあ演劇祭典が開かれたので行ってみた。手話落語、ダンス、太鼓などであったが、満員の客席は、もうわいわい、がやがや、ろくすっぽみていないのだ。驚いた」とおしゃってました。
なにしろ生まれて初めて聾の仲間が舞台でなにかを演じている、そこに自分も参加している、嬉しくって興奮していたと思います。
次の年の1981年、千葉での第2 回全国ろうあ演劇祭典で私は「オルフェ」を初出演として舞台に立ちました。
前年のあの言葉にとても気になっていましたが、幕が上がると観客の反響はものすごく直接的でとても静かでした。
評判もすごく良かったのです。
この後ろう者の舞台芸能活動は盛り上がりました。ろうあ演劇のイベントが益々増えていくようになり、演者と観客がともに劇場マナーを守るようになり共に支えていくようになりました。
「近年になってから聾演劇は聾演出で聾俳優が出演し、聾観客と関わっているだからこそ、聾消費者と聾生産者として成り立つものだから聞こえる私はそういう所有者になり得ない」とある演出家が言ったときにそれを聞いて「フェアじゃないな」と私は思いました。
私なりのプロデュースとしては、長年舞台芸術のあり方を根底から考えると「聾者という範疇だけではなく、今まで全く出会うことのなかったひと同士のコラボレーションを設定していく」ことをしたいので、ワークショップ・稽古を通して共同創作をしていきたいし、もっと追求していきたいです。
それはもうデフ・パペットシアター・ひとみ所属していた頃からの私の発想で、その考え方は今でも変わりません。
私の恩師である故今泉陽子(女優)がいつも言っていた、「対等な立場で共同創作が出来るのか」という言葉は今でも忘れません。
また、聾者だけでなく障害の枠を超え様々な特徴をもったひとのアートは、無限の可能性をもっているんだということも忘れないでいたいと思います。
その可能性を追求しながら、対等な立場で芸術性を高めていきあうことが重要であります。
その中にこそ、新たな発見を生み出す可能性も秘められていると確信しています。
この公演で強く感じたことは?
自分でいうのもおかしなものですが、私は小学6 年生のとき、北斎の「赤富士」を見たとき、「可笑しいなあ、赤い富士山なんて」と思った覚えがあります。
今回の取り組みは、時空を越えて私に働きかけてくるような感じ、われながら驚いています。
言い換えれば『UKIYOE』の舞台を通して、北斎の赤富士の真髄を真似ることは私にはまだまだ出来ないなということかな。
北斎の世界はふところがとても深いと思います。
また、北斎のキャラクターの濃さをつくづく感じました。
この芝居では、様々な年齢の北斎が登場しますが、その時々の人格や、浮世絵に込めた思いをかなり表現する必要がありました。
演技とともに重要な人形。
美術家穂苅吾朗君が描いた人形デザインもまた、更に一驚、想像以上のシリアスさのあるデザイン(他の登場人物もかなりシリアスでした)。美術担当はじめ、人形や道具、衣装づくり担当の皆さんが死に物狂いでやってくれる姿に申し訳ないと思いつつ、おかげさまで、すばらしい人形達に囲まれ、本当に刺激的で面白く楽しく北斎を演じました。
今から待たれるのは、この『UKIYOE』の再演を要望してくださった観客の皆様との再会です。
私はこのたび演出の後半部分を大幅に改修している途中です。いつか、より内容を深めバージョンアップした『UKIYOE』をもって、お客様と堂々と顔を合わせられるように頑張りたいと思います。